番外編 銀色の日々 5



 それから、リズは昼間か、店が終わった真夜中にこっそり外へ出て、ジャックと会うようになった。
 交わすやりとりは相変わらずだったが、ジャックは以前より優しくなったような気がした。元々妹たちの面倒を見ていたのだ、それに気付かなかっただけかもしれない。
 互いに好きと言ったり、付き合うなどといった契約じみたものは交わさなかった。そんな言葉を口にしたら、今までの関係がなくなってしまうような気がしたのだ。それはきっとジャックも同じだったのだろう。
 だが、会っているうちに自然とそういう雰囲気になることがあり、キスをした。どこで教わったのか、ジャックのキスは上手かった。
 そうして二人の関係は、幼なじみから男と女の関係へと変わった。
 関係を持つとジャックのことを愛しい、と感じるようになり、会える日を今か今かと待ち焦がれた。だがジャックとのことは誰にも話さなかったし、バートは気付いていたかもしれないが、何も言ってこなかった。その代わり、客にきれいになったね、と言われることが増えた。
 そうした関係が何年か続き、リズとジャックが二十一の歳を迎えた頃、リズの耳に不穏な話が舞い込んできた。
 いつもの通り、店の手伝いをしていた時だった。顔なじみの客がひとり、店に入ると重い足取りでカウンターに座った。
「マスター、いつもの」
「はいよ」
 バートが酒とつまみの準備にとりかかると、客は皿を洗っているリズに視線を移した。
「リズちゃんもすっかりべっぴんになったなあ。どうだい、お前さんもうちの劇場に――」
「だから何遍言ったら分かるの? あたしはあんな舞台に立つのごめんなのよ」
 客は肩をすくめ、水を受け取った。この客はアッサラーム一の劇場の座長をしている。そんな座長が何故ここに来るのかというと、下積み時代から来ていたこの店に思い入れがあるらしい。
 その劇場は、一度だけジャックに連れられ観に行ったことがあるが、リズには半裸の若い女たちが腰をくねらせているだけにしか見えなかった。だが、男たちがこういうものを好むということは嫌でも承知していた。
「しかし、リズちゃんみたいな娘は気を付けた方がいいぞ。ほら、デスミラージュって知ってるか?」
 知ってるも何も、ジャックの所属している盗賊団の名前だ。ジャックはまだ盗賊稼業を続けていた。
 リズは手を止め、ポマード頭の座長をまじまじと見つめた。
「……デスミラージュなら、悪どい商人や富豪だけを狙うっていう奴らでしょ」
「お前さん、よく知ってるねえ。まあこういう商売してりゃ、嫌でも耳に入るか。でな、今まではそういう義賊まがいのことをしていた奴らが、最近人殺しや女子供までも狙って犯罪を犯してるって噂だぞ」
 リズの胸がすうっと冷たくなった。
「……それ、本当なの?」
「ああ。今朝、早速富豪が殺されたらしい。それ以外にも被害者が出てる。うちの踊り子も何人か声をかけられたそうだ」
 リズは水道を流しっぱなしにしていることに気付き、慌てて閉めた。だが手は止まったままだ。
 ジャックも、そんなことをしているのだろうか――リズは首を激しく振った。あのジャックが、ましてや人殺しなど――
「おうおう、想像しちゃいかんよ。しかし、魔物も増えたし、世の中物騒になってきたねえ」
 座長はジョッキと串焼きを受け取り、かぶりついた。リズの胸に不安が広がっていた。
 今晩はちょうどジャックに会うことになっている。会ったら真っ先に、真実を聞き出さねばならない――
 リズは店が終わると、急いでいつもの待ち合わせ場所に向かった。
 街の入口で、夜目にも目立つ銀の髪を見つけると、リズはすぐさま問い質した。
「ジャック、聞きたいことがあるの」
 だが、ジャックはそれに答えず、リズの手を取り大股で街の中を歩いていった。
 いつも行く安っぽい宿ではなくて、ネオンの灯った歓楽街の一角へ足を踏み入れた。この周辺は高級と言われていて、金持ちしか出入りしないと聞いたことがある。
 その中のきらびやかな宿へジャックは足を進め、部屋に入るといきなりリズを抱きしめた。
「どうしたの、ジャック? おかしいわよ、こんな所に……」
 抗議は唇で塞がれた。何かにせかされているような、荒っぽいキスを繰り返し、ジャックはそのままリズをベッドに押し倒した。
「ジャック、落ち着きなさいよ、ジャックってば!」
 思い切り頬を打ってやると、ジャックは我に返ったようにリズを見つめた。
「あたしがいきなりこういうことされるの嫌なの、知ってるでしょ!?」
 睨みつけると、ジャックはふらりと身体を離し、ベッドに腰かけた。わりぃ、と小さくつぶやくのが聞こえた。
 リズは起き上がると、ジャックの隣に座り直し、そっと尋ねた。
「……ねえ、どうしてこんな所に来たの?」
 ジャックは黙っている。
「……それと、デスミラージュの話を聞いたの。あんたは、人殺しなんて……やってないわよね」
 すると、ジャックは今まで見たこともないような表情をした。痛みをこらえて、こらえ続けて疲れ切ったような、そんな顔だった。
「……やらねーよ。何もしねえ。何があっても」
 まるで自分に言い聞かせるように、ジャックは囁いた。リズはいたたまれなくなり、ジャックの頬に手を伸ばした。少しやつれたような気がする。
 ジャックはその手を取ると、弱々しく握りしめ、こう言った。
「……わりぃ。しばらく会えなくなるかもしれねえ」
「……え?」
「だから、別れる前に……と思った。わりぃ、無理矢理連れてきちまって……」
 リズはジャックが何を言っているのか分からず、ジャックを正面に向かせた。
「どういうこと? なんで会えなくなるの? どこか行くの?」
 ジャックはそれ以上何も言わなかった。だがその顔は悲哀に満ちていた。
 会えなくなるというのは本当なのだろう。そして、今リズが何を言ったところで、それは揺るがないものなのだろう。
 リズはジャックの首にしがみつき、今までした分を全て繰り返すようにキスを重ねた。
 何故か、今こうしないと、もうずっと抱き合えないような、そんな気がした。



 翌朝、ジャックはいなくなっていた。書き置きはなく、代わりに高額のゴールドが残されていた。宿代だろう。
 リズは一人で朝の歓楽街を歩いた。昨夜の派手派手しさはどこにもなく、もやのかかった街並はただただ、灰色でしかなかった。
 一週間や二週間会えないことはざらにあった。だがジャックは別れ際、必ず次に会う日の約束を取り付けていった。今回はそれがなかった。
 ひと月経っても、音沙汰一つなかった。様々な考えが頭をよぎった。
 別の女が出来た、愛想をつかされた――だが最も考えられるのは、ジャックが人殺しになることを選んだということだった。
 だが、あの時ジャックは確かに言った。何もしねえ、何があっても、と。
 それなのに、何故ジャックは姿を現さないのだろう。リズの不安と比例して、デスミラージュの悪評は高まり、ついには一般人の死者まで出るようになった。だが、リズの周辺や店にはそういった類の者たちは現れなかった。
 リズはジャックに会えない寂しさを仕事で紛らわし、懸命に働き続けた。
 だがある日、店に意外な客が現れた。
 ピンクの髪を高く結った、ジャックの妹アニーだった。アニーは店に入るなり、仕事中のリズを外へ引っ張り出した。
「リズさん、お兄がどこに行ったか知らない!?」
「えっ……ジャック、家に帰ってないの?」
 アニーは深刻な顔でうなずき、事情を説明した。
「お兄、ずっと盗賊団に入ってたのを隠してたみたいで……それでお父に勘当されて、ずっと帰ってきてないの。団を抜けた時、ひどい怪我をして帰って来て……」
「それ、いつの話?」
 アニーはひと月前、とつぶやいた。日付を尋ねると、ジャックと会った次の日だった。
「リズさんのとこにいないかなって、思ったんだけど……」
 落ち込むアニーに、リズは寂しげに笑った。
「しょうもない奴だね。女の子を四人も待たせてる」
 アニーは宙を見上げ、一、二、三と指を折り、リズを見て四本目を折った。
「……リズさん、お兄と付き合ってたんでしょ」
 リズはうなずこうとして、迷った。
「……どうかしらね。あいつは、そう思ってなかったのかもしれない」
「お兄、帰ってくるよね?」
 リズは曖昧にうなずいた。アニーは頭を下げ、走り去っていった。
 ジャックが盗賊団を辞めたというアニーの言葉は救いだった。しかし、ジャックはどこに行ってしまったのだろう。
「……本当に、バカなんだから……」