番外編 銀色の日々 4



 翌朝、ジャックに医者の家の住所を教えて送り出した。まだ足元がおぼつかなかったが、あの調子ならしばらくはおとなしくしているだろう。結局椅子の上でうとうとしただけで、寝不足だったリズは大きなあくびをひとつした。
 それからしばらくは、あの男たちもジャックも姿を見せることなく日々が過ぎていった。今までは、怪我を負わなくても週に一度は顔を見せていたジャックが、二週間、三週間経っても姿を現さなかった。
 やはり、ジャックもリズを危険な目に遭わせた責任を感じているのだろうか。だが、このまま会わなくなってしまうのかと考えると、リズの胸は不安に蝕まれた。
 あれから、寝ても覚めてもジャックのことを気にかけている。ちゃんと抜糸に行ったのか、盗賊団でまだ活動しているのか、傷は痛まないか――時々注文を取り違えたりすることも増え、バートの説教もそれに比例した。
 気付けば、いつもジャックが店に来てくれるのを心待ちにしていた。手当てをしてやるのが、しがない酒場の娘の唯一の特権だった。
 その関係を失いたくない。一緒にいて誰かに狙われるより、関係を絶ってしまうことの方が、リズを苦しめるだろう。リズは決意を固めた。
 店はいつも夕方から始まる。昼の空いている時間を使って、リズはジャックの家を訪ねることにした。
 ジャックの家はアッサラームの西のはずれにある平屋だ。幼い頃は何度か遊びに行ったものだが、裕福とは程遠い家なのに、貧困による暗い雰囲気はあの家になかった。
 リズは、ジャックに盗賊団をやめるよう頼むことにした。ジャックが普通の職に就けば、バートも安心するだろうし、暇な時に店に来てくれるようになるかもしれない。それに、ジャックもあの怪我を負って懲りているはずだ。
 バラックで造られた建物の群れを通り過ぎると、見覚えのある平屋が目の前に現れた。ジャックはいるだろうか。
 入口の前で呼びかけると、ピンクの髪をおさげにした女の子が出てきた。ジャックの妹のアニーだ。
「どちらさまですか?」
「あの、あたしリズって言って、ジャックの……」
「ああ! 覚えてる、昔よくうちに遊びに来てたよね?」
 アニーは無邪気に笑顔を振りまいた。ジャックとは似ていないが、花のように愛らしい表情だった。
「お兄ならいるよ! ちょっと待ってて!」
 アニーは奥へ消えると、兄の袖を引っ張って戻ってきた。
「アニー、誰が来たんだよ……って」
 ジャックはリズの顔を見て目を見開いた。久しぶりに顔を見たが、大して変わりないようだった。
「……話があるんだけど」
 ジャックはぼりぼりと頭を掻き、黙ってうなずいた。
 近所の空き地にやって来ると、リズは辺りを見回した。
「ここに来るの久々だね。昔はよくここで、日が暮れるまで遊んだっけ……」
 広々とした空き地は誰もおらず、がらんとしていた。リズとジャックは木箱に腰を下ろし、しばらく沈黙していた。
「怪我は、もういいの?」
 ジャックは腹の辺りをさすり、苦笑した。
「お陰さんで。しばらくは何も出来なかったけどな」
「お医者さんに聞いたけど、あんたが治療代払ったんだってね」
「おう。あのじいさん気が利くぜ。ガキだからってまけてくれた」
 大して嬉しくなさそうにジャックは笑った。「……で、話って何」
 リズは手元を見つめ、切り出した。
「……ジャック、盗賊団なんかやめなよ」
 今まで穏やかだった空気が、張り詰めたものに変わった。ジャックが凝視するが、構わず続けた。
「ほら、この前だって……変な奴らに目つけられてたでしょ。盗賊なんかやってるから恨み買うのよ。これに懲りて、盗賊なんか――」
「嫌だね」
 即答され、リズはジャックを睨みつけた。ジャックは両手を頭の後ろで組んだ。
「オレはこれからも続ける。大丈夫だって、もうヘマはしねーよ」
「でも、もうお金には困らないくらい稼いだんでしょ? もういいじゃない、普通の仕事見つけて……」
「うるせーな、お前には関係ねーだろ」
 リズの中で、何かがぶち切れた。ジャックはしまった、という顔をしたが、もう遅い。
「……何よ。人にさんざん怪我の手当てさせといて、関係ないって……あたしのこと何だと思ってるの?」
「いや、その……」
 リズは立ちあがり、力の限り怒鳴り散らした。
「このままじゃ、また大怪我するかもしれないじゃない! そしたら、あたし……治せないもの!」
「リズ、悪かったって、今の取り消すから……」
「あたしはあんたの薬箱じゃないのよ! きちんと生きていて、あんたのこと心配してるのよ! なのに……」
 あんなに苦しんでいたくせに、治ってしまったらいつものようにヘラヘラしている。ここにいてくれと言ったくせに、今度は関係ないと言う。
「あたし……あんたが何考えてるのか、分からないよ……」
 声が震えたと思ったら、熱いものが頬を濡らした。胸の奥がずきずきと疼く。
「おい、泣くなよ……」
 ジャックも立ち上がり、リズの肩に手をかける。リズは涙に濡れた瞳でジャックを見つめた。
「どうしてわざわざ危険なことするの? もし、あんたに死なれたら、あたし……」
 すると、ジャックはリズの肩を引き寄せ、抱きしめた。リズは一瞬、何が起こったのか分からず茫然とした。
「……ジャック?」
 まだ未発達で細っこい、だけど確かにリズを抱く腕は、男の力強さを持っていた。
「……そんな瞳してオレを見るな、バカヤロー」
 ジャックの真意がつかめず、リズは首を傾げた。
「お前のこと、ただ便利に使ってる訳ねーだろ? ずっと、オレの怪我の面倒見てくれてたんだからよ」
「でも……」
「バーカ」
 いつもの馬鹿にしたような言葉が、ひどく優しく、ぬくもりを持ってリズの耳に届いた。甘美ですらあった。
「じゃあ、わざわざ用もない日にお前のとこ行くかよ。お前の店、オレん家から結構遠いぜ?」
 リズはふと思い出した。トマトをぶつけた日も、男たちにからまれた日も、そうでない何でもない日も、ジャックはふらりと店に現れた。
「でも、あんたは……」
 ごねると、ジャックはリズの肩を両手で抱いて、子供のわがままを聞いてやる親のように笑った。
「どうしたんだよ、らしくねーぞ? リズ」
 いつも言い合ってばかりで、自分より子供みたいに思っていたジャックが、こんなにも大きな存在に思えたことはなかった。これではまるで自分が駄々っ子のようだ。
「……あたしのこと、どう思ってるの?」
 今までの自分からは考えられない台詞だった。だがジャックはふっと微笑み、リズの頭を抱え自分の胸元に当てた。
「……少なくとも、ただの幼なじみには思ってねーよ」
 それを聞き、心の底から安堵する自分がいた。幼なじみ、の一言で済まされるのを、何よりも恐れていた。
 ジャックはしばらくリズの頭を撫でていたが、ふと手を止め、リズを身体から離した。
「……けどな、盗賊団はやめねえ」
 ジャックの表情は真顔になっていた。リズは目元をぬぐうと、ジャックを仰いだ。
「……どうして」
 ふらりと辺りを歩き、ジャックは問いかけてきた。
「親父の稼ぎが激減した頃、オレらが何を食っていたと思う?」
 リズが答える前に、ジャックは続けた。
「パンとかスープがありゃまだマシだ。けどそれすら買えねえ時があって、野草とか虫とか……乾季の時は下手すりゃ泥水を沸かして飲んでた」
 言葉を失ったリズに、ジャックは口元だけ笑ってみせた。
「オレ一人ならそれでも良かったさ。でも妹の奴らにそんなもん食わせるのは耐えられなかった。もっとひどいとよ、一日一食の日が続いてよ、あいつらが腹減ったって泣くのをずっとあやしてやったこともあった」
 淡々と話すジャックは、いつものふざけた態度が嘘のようだった。いつの間に、こんなに大人になっていたのだろう。
「だからよ、オレはもうそんなひもじい思いしたくねーし、させたくもねえ」
「……だけど、もうお金は」
「オレ、家を建てるんだ」
 突拍子もないことを言うジャックに面食らっていると、笑われた。
「バカみたいだろ? でも、オレ建ててーんだ。衣食住ごっちゃの家じゃなくてよ、それぞれの部屋があって、でもって風呂も台所もきちんとしてて……」
 そう語るジャックの瞳は輝いていた。ふと、リズは気が付いた。
 ジャックは盗賊稼業で稼いだ金を、純粋に家族のため、誰かのために使おうとしている。だから、ジャックはこれっぽっちも、それを汚い金と思っていないのだ。
 それを思うと、もうリズからは何も言えなかった。
「けどよ……オレがまだ盗賊やってるって知ったら、おやっさんもいい顔しねえだろうし、またお前を危険な目に遭わすかもしれねえ」
 だから、とジャックが言いかけるのを遮り、リズは声を張り上げた。
「それでもいい! だから、これからも……そばにいさせて」
 ジャックは息を呑むようにしてリズを見たが、しばらくして決意したようにうなずいた。
「……じゃあ、これからは外で会おうぜ。それに、もし何かあったら……今度は絶対、嫌な目に遭わせねえから」
 最後のつぶやきはぼそぼそとしていたが、リズはそれだけで十分だった。
 どこでもいい、何があってもいい。
 ジャックに会えなくなるよりは。