番外編 銀色の日々 3



「リズ。おしとやかにとは言わないが、もうちょっと行儀良く出来ないものかい?」
 カウンターに向かい合わせに座り、リズは縮こまっていた。ジャックには申し訳ないが、帰ってもらった。
 父の語り口はいつもと変わらず穏やかだが、今はその中に厳しさが含まれていた。
「……分かってるわよ。でも、口より先に手が動くことだってあるでしょ?」
「それは考えなしに生きているからだ。まったく、まだ客に水ぶっかけないだけマシかね……」
「あのセクハラオヤジのこと? 出来るならそうしてやりたいわよ、でも……お客さんだもの」
「じゃあ、ジャックはどうなんだ?」
 どうなんだ、と言われても、答えようがない。ジャックは幼なじみで、気の許せる仲なだけであって――
「……ジャックも、いつまでお前の世話になるのかね」
 何も知らなければ、しょうがないといった風に聞こえたかもしれない。だが、父の言い方はそれとは違っていた。
「しょうがないでしょ。あいつは妹を養うために」
「けれど、その妹たちも上のローズは働き始めている。それにマルクスの商売もようやく元の状態に戻りつつある。そろそろ潮時ってもんじゃないのかね」
 グラスを磨き粉で拭きながら、バートは静かに目を閉じた。
 リズも、このままジャックを泳がせていていいとは思わない。だが、ジャックは今の生活をひどく気に入っている。盗賊団の頭領を兄のように慕って、時折リズにも話すほどなのだ。
 どうすれば、ジャックをまっとうな生き方に正すことが出来るだろう――リズは頭を抱えた。
「……ねえ、お父さんはジャックのこと嫌い?」
 バートは目を開けると、淡々と答えた。
「……いい奴さ。けれどいつか、痛い目を見るんじゃないかね」
 リズは深いため息をついて、包みの中のトマトを見つめていた。



 秋になると日が暮れるのも早い。リズは夕方の買い出しを終えて、帰路についた。
 店の近くまで来た時、すっと路地裏から二人組の男が姿を現した。一人はターバンを巻いた長身の男で、もう一人は木槌のように小柄で太った男だった。
「お嬢ちゃん、ちょっと聞きてえことがあるんだが」
 ターバンの男があごひげを撫でながらにやりと微笑んだ。リズは嫌な予感を覚えた。
「……何ですか」
「あそこの店に、よく銀髪のガキが出入りしてるって噂を聞いたんだが、本当かねェ」
「……知りません」
 通り過ぎようとすると、太った男がリズの肩を掴んだ。
「姉ちゃん、いくら何でも冷たいんじゃねえか?知ってんだよ、姉ちゃんがあの店の娘だってことくらい」
「だから、知らないって言ってるでしょ!」
 振り払おうとするが、まるでびくともしない。男二人はリズに詰め寄り、建物の壁際まで追いやった。
「どうしても言えねえってかい。なら、力ずくでも聞き出すしかねえなァ」
 言うなり、ターバンの男はリズの胸元を掴み、ねじ上げた。紙袋が地面に落ち、中身が散らばる。
「姉ちゃん、言うこと聞かないとどうなっても知らないぜ?」
 脅されても、息が詰まって答えられない。歪んだ男たちの笑みに嫌悪感が募った。
 リズは無我夢中で、少年の名を心の中で唱えた。
「リズッ!」
 まるでリズの声が届いたかのように、少年の声が聞こえ、次の瞬間には男たちが体当たりをくらわされ横に吹っ飛んだ。地面にへたり込み、リズは咳込んだ。
「大丈夫か!」
 見上げると、緊迫した表情で手を差し伸べるジャックの姿があった。
「嘘みたい……本当に来てくれるなんて」
「何言ってんだよ、しっかりしろ」
 ジャックはリズを立たせると、その前に立ちはだかるようにして男たちと向き合った。
「おう、探す手間が省けたな。この前の借り、きっちり返させてもらうぜェ」
 ターバンの男は提げていた曲刀を抜き、構えた。ジャックも短刀を手にした。
「リズ、逃げろっ!」
 ジャックに言われるや否や、リズは全速力で走り出した。
「逃がすかよ!」
 太った男がリズの後を追ってきた。その直後、二つの刃がぶつかり合った。
 この男たちとジャックは知り合いなのか、何故ジャックを狙っているのか、詳しくは分からないが、このままではジャックが危ない。リズはとにかく助けを呼ぼうと走った。
 だが、急げば急ぐほど足がもつれ、うまく走れない。水の中で波をかき分けているようだ。
 そうしている内に太った男が追いつき、リズを羽交い締めにした。
「ちょっと、離してよっ!」
 そのままジャックの方を向けさせられ、太った男は哄笑を響かせた。
「ガキ! それ以上動いてみろ! さもなくば、この娘の可愛い顔に傷が付くぞ!」
 喉元に刃物が当てられ、リズはぞくりとした。つばを飲み込むだけでも刺さってしまいそうだ。
 ジャックはリズを振り返り、ぎりと歯をくいしばった。その途端、ターバンの男がジャックの腹を切り裂いた。絶叫が上がる。
「ジャックっ!」
 リズは地面に崩れるジャックに駆け寄ろうともがいたが、肉厚な腕に捕らわれ身動きがとれない。ターバンの男は愉快そうにジャックの頭を踏みつけ、タバコの吸い殻のごとくねじりつぶした。リズは目をきつく閉じた。
「はん、ガキのくせにカッコつけてるんじゃねえぞ! てめえみたいな奴は、こうして地べたに這いつくばってるのがお似合いだぜ!」
 さらに足蹴にされ、ジャックは低くうめいた。
「やめて、やめてよっ!」
「姉ちゃん、あのガキのコレか? あんな情けねえ奴は放っておいて、おれたちと――」
 と、何か液体が弾ける音がし、太った男が素っ頓狂な声を上げた。
「熱っ! あちい〜っ!」
 太った男はリズを放り出すと地面に転がり、のたうち回った。その向こうを見ると、バートがやかんを手に荒い息をついていた。
「リズ、大丈夫か!」
 バートに助け起こされ、リズはジャックを指差した。
「でも、ジャックが……!」
 すると、太った男がターバンの男にすがりついた。ターバンの男は舌打ちをして、太った男と転がるようにして逃げていった。
 ジャックの元へ駆け寄ると、腹部のあたりから鮮血がにじみ出ていた。リズが今まで診てきた傷とは比べ物にならない。傷の具合も分からないし、ましてや治し方など知るはずもない。
「どうしよう、あたしのせいで……!」
 今となっては逃げ遅れた自分がただ苛立たしい。バートが野次馬に医者を頼んでいる。
「……自分を……責めんな……リズ」
 リズに抱き起こされ、ジャックが微かに囁いた。
「あいつら……ターゲットにしてた商人の用心棒だったんだ。だから、仕留め損ねたオレを目の敵にして……」
 激痛にジャックは顔をしかめ、腹を押さえた。額からはおびただしい量の脂汗が浮き上がっている。
「……わりぃ……巻き込んじまって」
「それより、あんたは大丈夫なの!? ねえ!」
 それきり、ジャックは返事をしなくなった。
 もしかしたら、このまま死んでしまうのではないか――そんな考えが頭をよぎり、リズは力いっぱいジャックを抱きしめた。
 数十分後、医者が来るとリズはバートと二人でジャックを店の中に運び、リズの部屋のベッドに寝かせた。
 医者は物語に出てくるホビットのような、背の低い老人だった。たまに店にも来る顔だった。
「……ふむ。傷は大して深くない。安心しなさい、命に別状はない」
 リズとバートは顔を見合わせ、安堵のため息をついた。医者は傷口を消毒すると縫合の作業に入った。
 ジャックは最初のひと針こそわめいたものの、後は苦しそうに頭を動かしながら、うなされているような声で耐えていた。全身から汗が吹き出し、眉間には深いしわが刻まれている。
 その姿は見ていていたたまれなかったが、もし自分が同じ目に遭ったとしたら、耐えられず泣き喚いてしまうような気がした。
 縫合を終えると、ジャックは疲れ切ったように重い息を吐いた。医者はしばらく安静にするようにということと、一週間したら抜糸するということを言い残し、帰っていった。バートはそれを見送ると、リズにそっと告げた。
「……リズ。ジャックの傷が塞がったら……もうここには来るなと言いなさい」
「お父さん、そんな……」
「お前もこれで分かっただろう。ジャックと付き合うということは、そういった輩にも狙われるということだ。それが嫌なら、お前から盗賊稼業をやめるよう言いなさい」
 そう言うと、バートは部屋を出ていった。リズは肩を落とし、椅子を手にしてベッドのそばに腰かけた。
 ジャックは苦しそうに顔を歪めている。傷の痛みと必死で戦っているのだろう。
 せめて、汗をぬぐってやろうと、リズはタオルを持ってきてジャックの額を撫でた。
「……リズ」
 口が利けることに驚き、リズはさっきのバートの言葉を聞かれていないかと懸念した。
 だが、ジャックはそれ以上続けず、手探りでリズの手首を掴んだ。ひどく熱を持っていて、伝染したように腕が熱くなった。
「……ここにいてくれ」
 かすれた声はわずかに艶めいた雰囲気を醸し出していた。いつもはっきりした声で喋るジャックのものとは思えなくて、リズは動揺した胸を押さえた。
「……いるわよ。あたしの部屋なんだから……」
 ジャックはわずかに微笑み、やがて手を離すと寝息を立て始めた。
 リズは子供のような寝顔を眺めながら、バートの言葉を頭の中で繰り返していた。