番外編 銀色の日々 2



 十五、六の時だっただろうか。友人の間でジャックが話題になったことがあった。
 ヘラヘラしているけれど、実はなかなか端正な顔立ちをしていること、長身で無駄な肉のない体型、おまけに妹の面倒見がいい。
 銀髪のことも、様々な人間が入り乱れるアッサラームでは大して特別に思われず、むしろ彼女たちからしたら格好良さの要素らしく、あの髪に触りたいとはしゃいでいた。
 リズはそれを何となく聞いていたが、友人の一人にこう振られた。
 リズってさ、ジャック君と付き合ってるの?
 速攻で否定すると、じゃあ好きになってもいいよね、とリズに仲を取り持つよう頼んできた。
 その時既にジャックは盗賊団に入っていて、ジャックも恋人が出来れば危ない真似もしなくなるのではないかと思い、協力することにした。
 だが、数ヶ月後友人はジャックにふられた、と打ち明けてきた。
 理由は、「オレ誰とも付き合う気ねーから」だそうだ。
 リズはすぐさまジャックを呼び出し、ぞんざいな断り方をしたことを責めた。ジャックは本当のことを言って何が悪い、と開き直っていた。
 リズは信じなかった。ジャックは事あるごとに女の子とお近づきになりたい、というようなことを口にしていたからだ。
 決して悪い男ではない。なのに、ジャックに女の影がちらついたことは、一度もない。



 その日はきれいな秋晴れだった。アッサラームでは週に一度、大市場が開かれる。リズは買い物のメモを手に市場へ繰り出した。
 色とりどりの新鮮な野菜、獲れたての海産物から、女性の好みそうな細工物や宝石、果ては出どころの分からない珍品ばかりを集めた店まで、市場にはありとあらゆる品が揃う。行き交う人々も老若男女様々で、それを見ているだけでも退屈しない。
 その中に友人二人の姿を見つけ、リズは大声で手を振った。
「ニナ、エマ、ひさしぶりー!」
 友人たちもリズに気づくと、ぱっと顔を輝かせ手を振り返してくれた。近頃は店の方が忙しく、全くといっていい程会っていなかった。リズは早々に買い物を済ませ、友人たちと広場の噴水のへりに落ち着いた。
「リズ、お店が忙しいからって、全然遊んでくれないんだもん! 寂しかったー!」
 プラチナブロンドのショートヘアを震わせ、ニナが甘えるようにリズにすがりついた。苦笑しながらそれを押しのける。栗色のカールされた巻き髪が愛らしいエマは、市場で買った揚げ物を頬張った。この揚げ物はえびのすり身にチーズを混ぜたものを揚げてあり、海の近いアッサラームならではの軽食だ。
「でも、元気そうで良かった。ジャック君は、元気?」
 おっとりとした口調でエマが尋ねる。リズは軽くうなずいた。
「相変わらずってとこね。……エマ、まだジャックのこと好きなの?」
 このエマが、以前ジャックとの仲を取り持ってくれと頼んできた友人だ。だがエマは首を振り、何故か頬を染めた。
「うん……あのね、実は好きな人が出来たの」
「ホント? 誰?」
 エマは船乗りの若者だと話してくれた。しかも、既に交際を始めてから数ヶ月経っているらしい。
「それでね、エマったら……」
 ニナが意味深な笑みを浮かべ、リズに耳打ちした。伝えられた言葉に、かっと頭がのぼせるのが分かった。
「えっ、エマ……ホントなの?」
 エマは元々赤ら顔なのがますます赤くなり、うつむいた後小さくうなずいた。
 リズは未知のものに遭遇したような気分になり、軽くめまいを覚えた。ニナが興味津々といった様子で問いかけてきた。
「えっ? リズって、まだなの?」
「まだって、何がよ……」
「決まってるじゃない、そっちの方よ」
 笑顔で言い張るニナに、リズは逆に質問してみた。
「じゃあ、ニナはどうなのよ?」
「決まってるでしょ?」
 得意げに胸を反らすニナ。エマは「そんな大きな声で話さなくったって……」とニナの腕を引っ張った。リズはうろたえるしかなかった。
 年頃になれば、誰だってそういうことに興味を持つだろうし、経験があってもおかしくない。だが、リズはその手の話は苦手だった。
「ねえ、リズはどうなの? ほら、ジャック君とか……」
「あいつは、そんなんじゃない!」
 勢い良く立ち上がってしまい、ニナやエマはおろか、広場にいる他の人々の注目も浴びてしまった。身体中の血が頭に昇っていく。
「……あたし、帰るね! また!」
「ちょっと、リズ!?」
 ニナが呼び止めるのもきかず、リズは大股で広場を去っていった。
 路上の人々は、リズの気迫に圧されてか自然と道を開ける。それでもリズの歩みは止まらなかった。
 店の客が男ばかりなので、時々そういった話は嫌でも耳に入ってくる。だが自分のこととなると話は別だ。
 第一、何故ジャックの名前が挙がるのだろう。確かに、リズが最も親しい異性はジャックを置いて他にいない。かといって男女の交際をしている訳ではないし、ましてやそれ以上のことは考えられない。
 だがふと、ジャックはそういう経験があるかもしれない、という考えがよぎった。
 男の場合、別に相手は誰だっていいのだというのを聞いたことがある。行きずりの関係でも、娼婦でも……それにここは夜となれば無数の歓楽街がある。
 ジャックがその手で、女に触れている――そこまで考えただけで、リズは気がおかしくなりそうだった。昔から見知った幼なじみが、そのようなことをしているかもしれない。耐えがたい想像だった。
 ならば、自分は異性として、どんな風に見られているのだろう――しだいに歩幅は狭くなり、気付けば店の前まで来ていた。
「よっ、買い物か?」
 いきなり声をかけられ振り向くと、ジャックが笑っていた。途端に今まで考えていたことが頭の中を巡り、リズは視線を逸らした。
「店に行く途中見かけたから声かけようと思ったんだけどよ、お前すげーおっかない顔して歩いていくんだもんな。何かあったのかよ?」
「別に!」
 すると、ジャックはリズの目の前まで近付き、顔を覗き込んだ。
「お前、顔赤いぞ。……ははーん、さてはいやらしいことでも考えてたな?」
「な……」
 考えるよりも先に手が動いた。気付けば包みの中からトマトを一つ、ジャックの顔面にぶつけていた。嫌な音がした。
 ジャックは硬直していたが、地面に落ちたトマトの残骸を眺めると、わなわなと震え出した。
「リズ、てめえ……」
「ご、ごめん……」
 言葉も虚しく、ジャックが喰ってかかってきた。リズは身体をよじらせ、包みを守るように逃げ惑った。
「トマトぶつけるなんざ、カンダタでもやらねーぞっ!」
「ごめん! ごめんってば!」
 じゃれ合っていると、ジャックが石畳にけつまずいて、そのままリズを巻き込んで地面に倒れ込んだ。包みから残りのトマトやラディッシュやらがこぼれた。
「……痛っ……」
 目を開けると、丁度ジャックが覆い被さる形で、胸の辺りに頭を埋めていた。目が合った。
 トマトの果肉に汚れたジャックは、しばしの間があってから目にも止まらぬ早さでリズから離れた。リズはぽかんとしていたが、胸元を見るとエプロンが真っ赤に染まっていた。
 様々な方向から怒りが湧き上がり、リズは立ち上がると顔面をひくつかせた。
「あんたねえ……」
「いや、待てよ! 事故だって事故! それに、ちょっと気持ち良かったかなーって……」
「……そういうことがしたいなら、真夜中のアッサラームうろついてなさいよ!」
 今度は袋詰めのエビをぶつけようとすると、店の中からバートが出てきた。
「おい、何か大きな音がしたけど、大丈夫か?」
「おやっさんっ! 助けてくれよっ!」
「ジャック、どうしたんだその顔は?」
 ジャックが事情を説明すると、バートは深々とため息をついた。
「やれやれ、リズはジャックのこととなるとこうなんだからな……リズ、ちょっと中に入りなさい」
 いつもの説教パターンだ。リズはエビを掴んだ手を力なく下ろし、うなだれた。