番外編 銀色の日々 1



 その輝く髪を初めて見た時、宝物を見つけたような心地がした。
 水に濡れた金属のようなつやを持った、凡人離れした風貌は、幼心に強く興味を惹かれた。
 だが、銀髪の少年はそれがさも当然であるかのように、ごく自然に振る舞った。いたずらっぽい瞳、やんちゃそうに歯を覗かせる笑顔は、どこにでもいる普通の子供だった。
 知り合ってからは、毎日のように外を駆け回って遊んだ。だが互いに親の手伝いをするようになってからは、今までのようにはいかなくなった。
 それでも、少年はひょっこり顔を見せては他愛もないおしゃべりをしてくれた。少年は母を亡くしており、三人の妹の面倒をみながら暮らしていたが、決して自らの境遇を嘆いたりせず、いつも朗らかに笑っていた。
 この関係が、ずっと続けばいい。そう思っていた。



 商業都市アッサラームは雑多な街だ。行き交う人々も、軒を連ねる店も、何一つ同じものは存在しない。
 きらびやかな表通りだけを見れば、潤った土地だと旅人は思うだろう。だがそれと同時に、生活水準の低い者たちが住む場所がある。富豪たちは臭いモノにふたをするように、そういった人々を薄暗い街の片隅へと追いやった。
 しかし、人々はそれでも懸命に、日々食べていくため、家族を養うため、汗ぼこりにまみれ働き、それなりの幸せを掴み取っていた。
 その一角にある古びた酒場は、周囲に住まう人々の憩いの場だった。
「リズちゃん、あと三本頼むよー!」
 リズは大声で返事をし、二の腕ほどの茶色い瓶を三本手にした。
 狭い店内は数えるほどしかないテーブル席と、常連客がひしめくカウンター席に埋めつくされ、注文を取るにも渡すにもその隙間を縫って行き来しなければならない。
 カウンターを出、注文の上がったテーブルに向かっていくと、ふいに尻が生温かい感触に包まれた。さっと背後を睨みつけると、赤い顔をした中年の男がにやついていた。
「ちょっと、何すんのよ!」
 怒鳴りつけ手をどけようとすると、男は素早く手を離し、そのまま諸手を挙げた。
「へへっ、いいケツだからさあ。魔が差すんだよ、魔が」
「ちょっと、うちの娘に手を出すのはやめてくれないかい。これでも嫁入り前なんだからね」
 カウンターから声をかけたのは父のバートだ。いかつい見てくれとは裏腹に、物腰柔らかな口調で客を諭す。男は反省の素振りも見せず、鼻をぐいとこすり上げて残り少ないグラスをあおった。リズは大きくため息をつき、注文を届けた。
「リズちゃん、そうカッカすんなって。リズちゃんが可愛いから、ついついちょっかい出したくなるんだよ」
 瓶を受け取った客が片目をつぶった。リズは肩をすくめた。
「それはどうも。けど、あのオヤジしょっちゅうなのよ。嫌になっちゃう」
 この店は人通りの少ない路地に面しており、初めてアッサラームを訪れた者が寄りつくことはまずない。そのためか、客は皆地元の馴染みの者ばかりだった。
「まあまあ、寂しいんだろうよ。リズちゃんにかまって欲しいんだって」
 同じテーブルの別の客が笑い飛ばす。リズは力なく首を振った。
 ここの客は皆、リズと店主のバートを慕ってやって来る。もうひとつの我が家のようなものだと語る客もいるほどだ。だが、困った客が少なくないというのも、事実だった。
「それに、おれたちみたいなオヤジ以外にも、しょっちゅう来る奴もいるじゃないか」
 そう笑われ、瞬時に浮かんだ顔を強引に頭の中から追い出し、リズは胸の前で腕を組んだ。
「べ、別に、あいつは……」
 言いかけた時、入口のベルが軽やかに鳴った。目をやると、銀髪の少年が頬を押さえながら、店の中に足を踏み入れてきた。
「ほら、噂をすれば何とやら、だ」
 客の笑顔に見送られ、リズはずかずかと少年の元へ歩み寄った。
「ジャック、あんたまた何かやらかしたの!?」
「まあな。カンダタの奴、また暴れやがって……いつもならかわせたんだけどな」
 少年――ジャックは口元を拳でぬぐい、渋い顔をした。革の手袋には微かに血の痕が残っていた。
「ったく、しょうがないわね。ほら、こっち来て」
「あいよ。いつもすいませんねえ」
 リズはバートに一言断ると、ジャックを連れて二階へと上がっていった。
 古びた急な階段を上りながら、リズは内心ため息をついた。
 ジャックは幼なじみの腐れ縁だ。店の常連だった商人が、ある日息子のジャックを連れて来てリズに紹介したのだ。
 初めて会った時は、なんてきれいな髪をしているのだろうと思った。神秘的な銀の髪からは、思慮深く落ち着き払ったイメージを勝手に想像した。
 だが一言口を利けば、ジャックはどこにでもいるやんちゃな少年だった。いたずらもすれば喧嘩もする。むしろ、その銀髪のせいでよくからかわれては取っ組み合いを繰り返していた。
 そして、怪我を負ったジャックの手当てをするのが、いつしかリズの役目となっていた。かすり傷や切り傷くらいならお手のものだ。
 その役目は今も続いているのだが、ジャックの喧嘩相手は近所の悪ガキたちではなくなった。
 ジャックが盗賊団に入っていること、悪どい商人たちを相手に暗躍していること――リズはそれを承知の上で、ジャックの面倒を見ていた。
 二階に上がると、リズは自分の部屋へジャックを招きいれ、ランプに火を灯した。夕闇に染まった薄暗い部屋が、橙色の明かりに照らされる。
 ジャックは自分の部屋のようにベッドに腰を下ろした。リズは救急箱を手に提げ、丸椅子を持って来てジャックの真正面に座った。
「それにしても、仲間にまで手を上げるなんて、しょうもない奴ね」
 血がにじんだ口のあたりをガーゼでふくと、ジャックは「いてっ」と顔をしかめた。
「そんな連中ばっかりだぜ。それでも盗みの腕はオレが一番だけどな」
「何それ、自慢?」
 そんなもので一番になっても、大して誇れるものではない。いくら事情を知っているとはいえど、やはり盗賊団に対する不信感はぬぐいきれなかった。
「ジャック、あんたいつまで盗賊団にいるつもり? わざわざそんなことしなくたって、あたしたちの歳になればいくらでも働き口があるでしょ」
 リズとジャックは同い年で、今年十七を数える。アッサラームでは早ければ十三、十四で働く子供もいる。十六ともなれば立派な成人だ。
「オレらをなめんなよ。並の仕事よか、何倍も儲けてるんだぜ? そうだ、今度お前にも何か買ってやるよ」
「いらない」
 消毒液をつけたコットンで口の端をつついてやると、ジャックは悲鳴を上げた。
「……ってえ〜! お前さあ、年々手当てが手荒になってきてねーか?」
「いきがってんじゃないわよ、このバカ」
 涙目になったジャックは不思議そうにリズを見つめた。リズはちらと視線を合わせると、目を伏せた。
「……盗んだお金で買ったものなんかいらない。それがたとえ、あんたの妹やおじさんを養うお金だったとしても」
 家の商売柄、汚い金には手をつけるなというのが父のモットーだった。だから、リズも金については厳しく付き合っている。
 だが、ジャックの家は母親を亡くしている上、数年前ジャックの父マルクスが仲間ともめたことにより収入が激減している。ジャックが幼い妹たちを養うため、盗賊団に身を投じたこと、そして家族には荷物運びの仕事をしていると偽っていることも、リズは知っていた。
「まあ、お前はそう言うと思ってたけどよ」
「なら最初から言わないでくれる?」
 ジャックはけっ、と悪態をついた。リズも唇を尖らせて、傷に貼るガーゼをめくった。
 自分でも、しばしば口調がきついのではないか、と思うことはある。温厚な父より、亡くなった血気盛んな母に似たのだろう。だが、これは性分であり、直す気もない。
「……あたしは、あんたのためを思って言ってるのよ」
 申し訳程度にガーゼをそっと貼ってやると、ジャックは口をへの字に曲げ、リズに視線を向けた。じっと見つめられ、気分が落ち着かなくなる。
「……何よ」
「いや、黙ってれば可愛いのに、って思ってさ」
「それ、ほめてるの? けなしてるの?」
 ジャックはそれに答えず、立ち上がりうんと伸びをした。
「あーあ、このまま家に帰るのもだりいし、女の子でもひっかけようかなー」
「あんたみたいなのにひっかかる女なんていないわよ、このボケナスが」
 リズの毒舌にも大して反応せず、ジャックは片手を上げて去っていった。
「……今まで、女の子なんかひっかかったことないくせに」